サイドバックは今や欠かすことのできないポジションの一つです。
一昔前はタッチライン際を上下してクロスを上げる。もしくは守備をするだけのシンプルな役割でした。
しかし、今のサイドバックは敵陣深くでプレーに関わり、サイドでのパス回し、攻撃の起点や崩しなど、得点に直結する仕事も担っています。
守備に関しても1対1だけではなく、サイド以外のカバーなど役割が多くなっているのが現状です。
そうした役割の変化はどうやっておこったのか、サイドバックの歴史を振り返っていきたいと思います。
サイドバックのイメージが変わった瞬間
サイドバックのイメージがどう変わっていったのかを簡単に説明していきます。
今では欠かすことのできない大切なポジションです。
しかし、昔は違いました。
その理由とどういった経緯で変わっていったのか、それをこれから解説していきます。
サイドバックはサッカーが下手な人のポジションだった?!
昔からサッカー界にはある定説がありました。
それがサイドバックは気の利いたプレーは期待できないが、最低限の仕事をしてくれる体力のあるポジションということ。
特に右サイドのサイドバックは、スタメンの中で一番下手な選手の持ち場というイメージが強いポジションでした。
その理由は、仮に守備力があれば中央のセンターバックでプレーできるはずだし、足元の技術があれば中央やもっと上のポジションで起用できるはずということから。
左サイドのバックに関しても左利きが貴重なだけで、そこまでの大差は無かったと言われています。
それだけサイドの後ろは良くないポジションというイメージが強かったそうです。
それが変わったきっかけが役割の変化でした。
システムがもたらした新たなサイドバックの在り方
1994年のW杯後のこと。
アイルランド代表を率いたジャック・チャールトンが戦術的な観点から最も重要なポジションを「サイドバック」と言いました。
その当時は、注目していなかったポジションだったので、みんなが驚いたそうです。
当時の主流フォーメーションは4-4-2。センターバックのコンビが2トップを見る形です。中盤は4対4になっているので、必然的にサイドバックが空くという感じでした。なので、ジャック・チャールトンは攻撃のオプションとしてサイドバックがビルドアップやオーバーラップを担当することができると言いました。
この当時からチャールトンはサイドバックに攻撃の比重が高まることを予見していたのです。今では当たり前のことですが、当時はかなり奇抜な考え方と言われていたと思います。
それから年月が過ぎ、バルセロナのような高い位置にサイドバックを置くチームが増えていくことになりました。その結果、守備的なサイドバックには生き辛い時代へと変わっていくことになります。
現在のサイドバックが求められているのは、広範囲を守れる守備と攻撃に幅をもたせられるスタミナとテクニックです。
このように近年では、サイドバックは攻守で重要なポジションという、一昔前では考えられないポジションへと変化を遂げていきました。
そんなサイドバックの歴史を詳しく説明していきます。
サイドバックの歴史を徹底解説
1920年代から現在までにサイドバックはどう変化したのかを詳しく解説していきます。
これを読めばざっくりとですがサイドバックの歴史がわかるはずです。
さっそく1920年代から説明していきますね。
サイドバックの歴史:1950年代サイドバックの誕生
1920年代以前は2バックが主流で、サイドバックは存在しなかったようです。
それが変わったきっかけは、1920年代に登場した3-2-3というフォーメーションでした。
3バックが発明されたことで、中央だけではなく左右にも守り手が置かれるようになります。
その左右の守り手の主な役割がウイングのマークです。
これがサイドバックの原型と言われています。
やがて4バックが主流になると左右のフルバックをサイドバックと呼ぶようになりました。
これがサイドバック誕生のきっかけです。
この当時のサイドバックが担った役割はウイングのマークでした。
これは1920年代の3バックと変わりません。
しかし、ここから数年後、新たな役割が加わっていくことになります。
サイドバックの歴史:1960年代カテナッチョがもたらした攻撃型
1960年代になり、この頃から攻撃型のサイドバックが現れ始めました。
そのきっかけがカテナッチョの元祖と言われているエレニオ・エレーラ監督が率いたグランデ・インテル。
彼らは鋭いカウンターを武器に戦うのが有名だったそうです。
そのカウンターの鍵が攻守の切り替え、いわゆるトランジションでした。
この戦術をするうえでキーパーソンになったのが攻撃力に優れたファッケッティです。
守備から攻撃に移るさいに、攻撃の厚みをもたらすため、サイドから駆け上がる役割を担ったことで大活躍しました。チームはリベロを置いた1-4-3-2を採用し、その左サイドを担当。積極的な攻め上がりから攻撃型の元祖と呼ばれる選手です。
以来、イタリアでは左が攻撃的、右が守備的とサイドバックに明確な役割が与えられ、伝統として残り続けることになります。
サイドバックの歴史:1970年代サイドだけでなく中盤も支配する万能型
守備の強化と攻撃の起点という重要性が増したことで、攻撃型のサイドバックはあっという間にスタンダードになっていきました。
その中で頭角を出したのが、現在のマルチ型サイドバックの元祖ブライトナーです。
ブライトナーは元々ミッドフィルダーでした。それもあってか相手ウイングのマークだけでなく、攻撃時には中央に進出して得点にも絡んでいたそうです。この当時のプレーメーカーであるオベラーツとリベロのベッケンバウワーを支える役割も担っていました。
因みにこの当時はゾーン型やリベロ型の4-3-3が主流です。
その後オランダが生んだ攻守一体型戦術トータル・フッタボールが誕生したことで、サイドバックの攻撃参加もより増えていきます。
サイドバックの歴史:1980年代中盤を主戦場とするもう1人のMF
80年代になるとカナリア軍団ブラジル代表にも中盤を主戦場とするサイドバックが現れます。
ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョの黄金の4人を擁したブラジル代表の左サイドバック、ジュニオールです。
ほとんどの時間を中盤でプレーしたことで実質、黄金の5人として活躍しました。
ブライトナーとジュニオールには多くの共通点があります。
元々左サイドだったが利き足は右ということ。
今では逆足は珍しくありませんが、当時は珍しい存在でした。
もう一つが本職はMFという点です。
ただ、この2人みたいなタイプはあまりいなかったようで、希少性のあるサイドバックだったと言えます。
サイドバックの歴史:1990年代時代が作った全てが揃う万能型
90年代に普及したのが3-5-2のウイングバック型のフォーメーション。
サイドバックより高く、サイドのミッドフィルダーよりも低い位置に選手を置く方法です。
このポジションは従来のサイドバックが起用されることが多かったもののウイングやMFを起用するチームもあり、サイドの選手に求められることが多彩になっていきました。
そこから4バックが主流の時代へと戻って行くことで、サイドバックは万能型へと変化をしていくことになります。
その中で活躍したのがドイツのブレーメとミランの伝説、マルディーニです。
彼らの特徴は両足を使えたこと。
ブレーメは左足の精度が高い選手でしたが、90年のW杯ファイナルの決勝点で決めたPKは右足で蹴っています。センターバックでも活躍したマルディーニは最初、左サイドバックでプレーをしました。そうしたきっかけか、彼は元々右利きでしたが、左も使える選手になります。
この2人は左のキックが正確なだけではなく、左側にボールを置いてプレーが出来ました。
左が使えても多くの右利きの選手は、右足側にボールを置いてしまう癖があります。そうすると左サイドでプレーをする時に選択肢が限られてしまうという難点ができてしまうのです。
しかし、ブレーメとマルディーニは両足を使えて、しかも同サイドにボールを置ける珍しいタイプでした。
それ以外にもこの2人は1対1や空中戦、中盤での組み立てなど幅広い仕事がこなせる貴重な存在として重宝されました。
まさに万能型のサイドバックです。
サイドバックの歴史:2000年代前半超攻撃型の猛威
2000年代に突入すると攻守に優れただけではなく、無尽蔵のスタミナと圧倒的な攻撃力を備えたサイドバックが現れます。
その代表格がブラジル代表の両翼、カフーとロベルト・カルロス。
2002年のw杯を優勝へと導いたチームの主力にして、超攻撃型の代名詞と言える選手です。
この2人は生まれつきのアスリートでした。
速さに必要な筋肉と計り知れない持久力を持つ怪物と言っていい存在です。
代表だけではなく、クラブでも圧倒的な力を振るい中心選手として長年活躍しました。
そして、この系統が21世紀の一般的なサイドバック像になっていきます。
その代表がペップ・グアルディオラ率いたバルセロナで右サイドに君臨したダニエウ・アウベスです。
90分間ほぼ主導権を握るほど、圧倒的なスタミナとスピードで対峙する相手を制圧。攻撃では幾度となく相手の守備を混乱に陥れたかわかりません。
そのプレーはバックとは名ばかりのまさに超攻撃的なプレーでした。
このような選手が増えていったことで、ウイングにも守備力が求められるようになるなど、多くの新しい役割が生まれていくことになります。
サイドバックの歴史:2000年代後半サイドバックがゲームを支配する。
バルセロナでサイドバックの役割を大きく変えたグアルディオラは、バイエルンの指揮官に就任しました。
そこでまた、新たな革命を起こすことになります。
左右のサイドバックとMFを融合させたのです。
本来サイドバックのラームを中盤の底へ。左サイドのアラバを中盤のMFとの併用という形で起用しました。
攻撃の開始時に中盤の底のラームがセンターバックの間に下がり、ラームのいたところに左サイドMFのトニ・クロースが下がる。そしてアラバがクロースのポジションに上がる。このようにポジションチェンジをすることでポゼッションを高めました。
その戦術がサイドバックの概念を大きく覆すものとして高く評価されました。
これがきっかけの一つとして、現在は多種多様なサイドバックが活躍する群雄割拠の時代へと変貌しています。
これがサイドバックの歴史です。
サイドバックの歴史と今後について簡単なまとめ
サイドバックのイメージと歴史について解説してきました。
ここまで読んだ方はピントきているかもしれませんが、サイドバックの系統は繰り返されていると思っています。
攻撃型が生まれる。より高い位置、MFでプレーするサイドバック。そして万能型へ。
このサイクルがサイドバックで起きています。
そして今は攻撃型の時代です。
一昔前は攻撃型が流行り、そして役割は違いますが、グアルディオラがサイドバックを中盤へとコンバートする。これによりサイドバックが高い位置をとるのはもちろん、中盤に入ったり、センターバックとして後方から攻撃を組み立てる役割も担うようになりました。まさに様々な役割をする万能型ですよね。そして、現在はリヴァプールの両翼のような攻撃型がまた現れるようになりました。
こうやって歴史は繰り返されています。
ここからもわかると通り、今やサイドバックは馬鹿にできないポジションへと変化しました。かつての下手な人がやるイメージは消滅したと言っても過言ではないと思います。もしかしたら一番大変なポジションかもしれません。
このように日々進化しているサイドバックはとても重要なポジションです。
今後も重要視されるのは間違いないと思います。
これからどんな選手がどんな役割をしていくのか楽しみです。
そんなサイドバックの役割がチームのやりたい戦術に直結していることが多いので、試合を観るときはサイドバックに注目するのも面白いと思いますよ。
以上、【サッカー】サイドバックの歴史と現状についてでした。
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